おはぎとぼた餅は、よく似ています。「何が違うの?」という疑問を持っている方も多いのではないでしょうか。実は、二つは同じものです。

おはぎは「萩の花」とも呼ばれ、ぼた餅は「牡丹餅」と書きます。どうして二種類の違う呼び名がついているのでしょうか。

おはぎとぼた餅について、その違いを語る時、「あんこがこしあんか粒あんかの違い」であるとか「おはぎはゴマとかきな粉が付いてるもので、ぼた餅はあんこだ」など色々な意見があります。

どちらも、餅米やうるち米を蒸して、粒が残るくらいに粗めについたものに、きな粉やあんこ、青のりやゴマなどをまぶしたもののことを言います。

米を半分潰して作る、ということから「はんごろし」という恐ろしい別名もあります。

「ぼた餅」と呼ぶのには、お盆に並べた時の見た目が、牡丹の花が咲きこぼれているように見えることから「牡丹餅」と呼ばれるようになりました。

また、「おはぎ」と呼ばれるのには、特に小ぶりに作ったものが「萩の花の咲き乱れているように見える」ことから、「おはぎ」と呼ばれるようになった、という説があります。

その他、元々「萩の花」と呼んでいたのが、それの女言葉である「おはぎ」のまま定着した、とも言われていますが、おはぎと牡丹餅の使い分けについては、各地により諸説あります。

一般的な使い分けでは、どちらもお彼岸の時季に食べるものだということで、春の彼岸に食べるものは、春に花が咲く牡丹で「牡丹餅」、秋に食べるものは、秋に花が咲く萩で「おはぎ」という説が有名です。

また、地域によっては粒あんのものをおはぎ、こしあんの小ぶりなものを牡丹餅、と呼ぶ場合もあるようです。

では、お彼岸におはぎや牡丹餅を食べる風習は、いつ頃からあったのか?また、どうしてそのような風習ができたのか?というと、江戸時代には既にできていたようです。

当時、おはぎや牡丹餅は、家庭で作られる庶民的なもので「家庭の味」とも言えることから、ゴマやきな粉などの色々なバリエーションが生まれたのでしょう。

また、この頃には和菓子屋で売っていることもあり、作らなくても買うこともできたようです。

お彼岸には、あんこを使ったおはぎや牡丹餅が食べられる理由ですが、昔の人は「小豆の赤い色には邪気を払う力がある」と信じていたことが理由の一つです。

現在でも、神社の鳥居や、神社の鐘の本坪鈴からのびる鈴緒などに、赤い色が使われていますね。

また、砂糖が高級品であった昔、「せっかく先祖も家族もそろってのお彼岸なのだから、ちょっと贅沢をしよう」ということで、砂糖と小豆を使用したおはぎや牡丹餅が、家族や親戚、近所にふるまわれた、ということです。

その他、おはぎや牡丹餅の別名としては、餅米をすりつぶして作るので、餅をつく時のように「ぺったんぺったん」と音がしない、隣も知らないうちに出来上がることから「隣知らず」という別名があります。

また、いつ餅米をついたのかわからない、知らない間にできることを「暗い夜は、いつ船が船着き場につくのかわからない」ということにかけて「夜舟」などとも。

おはぎや牡丹餅の見た目を、月の見えない夜に例えて、「小豆の星があるばかりで月が見えない」また「真っ暗だからつくのが見えない」ことから、月の光が無い「北の窓」とも呼ばれることがあります。