饅頭(まんじゅう)は、私達日本人にはもっとも身近な和菓子の一つであり、古くから庶民にもたいへん親しまれてきました。その証しに、古典落語にも「まんじゅうこわい」という演目があります。

この演目のあらすじは、ある時に数名集まった男達が、それぞれ「自分の怖いものは何か?」というものを言い合います。

「クモ」や「ヘビ」などという答えが出る中「お前ら男のくせに情けないな、俺は怖いものなんて無いぞ」と偉そうに言う男がいました。

「本当に怖いものは無いのか?」と詰め寄られたその男は、しぶしぶ「まんじゅうがこわい」と言うのですが…実はこれは男のついた大ウソでした。

その後「あいつは生意気だから、まんじゅう攻めだ」と男達からまんじゅう攻撃にあったその男は、喜んで全てのまんじゅうを食べてしまった、というお話です。

饅頭好きにはたまらない、うらやましいお話ですね。このように昔から親しまれている饅頭には、日本中で様々な種類が誕生しました。

温泉の多い地域では温泉饅頭、麹の発酵する力を使用する酒饅頭、黒糖の香りがあんことよく合う黒糖饅頭などなど…

その他、山芋や大和芋などが皮に使用されるじょうよ饅頭、夏に涼しげな葛饅頭など、皮と中身の工夫により、何通りにもなる饅頭の種類は数え切れないほどで、実に数十種類以上はあるとも言われています。

さて、そんなみんなに愛される饅頭ですが、どこからやって来て、そもそもの起源はどういったものだったのでしょうか?

…饅頭はその昔、中国から伝わった蒸し菓子の一種だと言われています。中国には饅頭の起源に関する、こんな伝説が残されています。

中国の南方のある地方では、神様へのお供え物の一つに人の生首を使用する地域がありました。「三国志」にも登場する諸葛亮孔明はそれを見て

「これはどうも野蛮だから、別の物で代用できないか」と考えたそうです。

その結果、豚や羊の肉をうどん粉で練った生地で包み、表面には人の顔を書いたものを代用品としてお供えするようになったということです。

当時、そのものの名前は「蛮頭(ばんとう)」と呼んだそうですが、これが、そもそもの饅頭の起源だという伝説です。

饅頭の元々の姿が、「神様へのお供えものである生首の代わり」だとは、びっくりですね。

その饅頭が、鎌倉時代に日本に伝わってしばらくは原型をとどめていたようで、砂糖の普及する室町時代の末期頃までは、中身のあんは甘いものではありませんでした。

では何が入っていたかというと、蒸した野菜や豆類などが入っており、現在の「おやき」のような、塩味のあんが入っていたようです。

名前も「菜饅頭(さいまんじゅう)」と呼ばれ、お菓子というより現在の肉まんなどに近い存在でした。

では、中国で生まれた肉入り饅頭の中身が、なぜ、日本では野菜や小豆などの豆類になったのでしょうか?

その理由は、宗教的に肉を食べることが禁じられていた、当時の日本人に合うように、肉の代わりに豆などで代用されたという説が有力です。

その後、江戸時代には甘い饅頭が出回り始め、塩味の物と区別をつけるために「砂糖まんじゅう」と呼ばれました。もちろん当時の庶民からもたいへん親しまれたそうです。