「きんつば」とは、あんこの塊を約1、5センチくらいの厚さの六面体にしたものを、薄い小麦粉の衣や米粉の衣で焼き付けながら覆ったもので、不思議な正方形の和菓子です。

中身は粒あん、または、さつまいもで作られた芋あんであることが多いですが、桜の咲く時季には桜あんなどのきんつばも出回ります。

金色でもなく、丸いツバのようでもないこの和菓子ですが、なぜ「きんつば」と呼ばれているのでしょうか。今回はきんつばについて紹介します。

きんつばは、元々京都で生まれ、江戸に伝わった和菓子だったようです。名前もきんつばではなく、「ぎんつば」でした。

江戸に伝わった時に、「ぎん」から「きん」に変わった理由については、いくつかの説があるようです。一つは、銀よりも金の方が縁起が良いからという説です。

その他、その頃の京都での主流の硬貨が銀色だったのに対し、江戸で主流の硬貨は、金色だったから、などの理由が伝えられています。

さて、きんつばの「ツバ」とは、刀の持ち手と刃の間にある、楕円形の円盤のことです。

現在のきんつばは四角いものがほとんどですが、伝わった当初のものは、このツバのように丸い形だったようです。

いつしか「丸いよりも四角い方が美しい」、「四角くすることで、鉄板の上で焼くのに場所の効率が良い、一度にたくさん焼ける」などの理由から、四角い形が主流になりました。

なお現在でも、丸いきんつばを作っているところもあります。富山県では、丸いきんつばが今も作られており、名物となっています。

さて、現在のきんつばは、名前も「ぎんつば」から「きんつば」に変わり、形も丸いものから四角いものが主流となっています。

元々の丸いきんつばは、あんこを丸い形に整えて、米の粉でできた衣を焼き付け、本物のツバのような模様も焼き付けていました。

それに対して、江戸に伝わったあとの六面体のきんつばの衣は、小麦粉へと変化しました。

この頃、江戸と京都でどちらが良い和菓子を作るか、と競り合っていたとも考えられ、京都のものと区別する意味で、小麦粉に変わったのかもしれません。

また、中身に使うあんこも、丸形からキッチリとした四角い形になり、その形を保つため、寒天で固められるようになりました。

寒天で固められているあんこ、ということで特に芋あんの場合は、芋ようかんを四角く切って、それに生地を焼き付けるものもあります。

また、中身のあんこを取り巻く衣の焼き付け方については、店舗によって二種類ほどの違いがあるようです。

なるべく薄い生地の衣になるように、あんこの表面にハケで生地を塗って焼き付ける店と、あんこを手で持ち、生地の入ったボウルにサッと付けて焼く店があり、仕上がったあとの食感などに違いがでてきます。

きれいに衣が焼き付けられたきんつばは、ぱくっと噛んだ瞬間に、表面の衣がぷちっと弾け、あんこのしっとり感が際立ちます。

きんつばを食べる際には、衣の違いにも注目してみると面白いですよ。