Month1月 2016

あんこ、あってこその和菓子

あんこは特に、和菓子には欠かせない存在ですね。和菓子が好きな方の中には「まんじゅうや餅などの、外側の皮がなくても、あんこだけでも食べられる」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

あんこは、地域の特色や、作る和菓子に合わせても、色々なものが作られています。まずは、小豆から作られる、粒あんやこしあんがあります。

また、うぐいすあんパンなどに入っている黄緑色があざやかな「うぐいすあん」は、青エンドウ豆からできています。

白あんパンなどに入っている白あんは、白インゲン豆からできています。なお、この白あんは手亡(てぼう)あんとも呼ばれます。

この手亡あんに使われるお豆は、お惣菜売り場などで「手亡豆」や「おたふく豆」という名前で、甘い煮豆になって売られていますね。

この白あんは、色が白いことで様々なバリエーションをつけることが可能になっており、抹茶や桜を加えて抹茶あんや桜あんとしたり、また、上生菓子とも呼ばれる「練りきり」のベースや、同じく上生菓子の「きんとん」のあんなどのベースにもなります。

その他、枝豆を使ったずんだあん、さつまいもを使った芋あん、紫芋が使われる紫芋あん、かぼちゃで作るかぼちゃあん、栗で作る栗あんなど、特に糖質が主成分のものは、あんこを作りやすい食材です。

さて、そんな和菓子には欠かせないあんこですが、どうしてできたのでしょうか。

ここで改めて、一般的なあんこの紹介ですが、小豆の粒が残っているあんこを粒あん、粒の無い、なめらかなものをこしあんといいます。二つのあんこの違いは、粒の有る無しと、作り方です。

粒あんは、柔らかく煮た小豆に、砂糖と少量の塩を加えて、水気がある程度無くなるまで煮詰めて作ります。一方、こしあんは粒あんよりもひと手間かかります。

柔らかく煮た小豆を、豆と煮汁に分け、豆を少しずつ網目の小さな漉し機にかけ、豆の中身を漉します。漉せたら、それに水を加えて上澄みを捨てることを何度か繰り返します。

出来上がった「生あん」を巾着に入れ、水気を絞ってから鍋に移し、砂糖を加えながら練り上げます。

そんな、和菓子に欠かせないあんこの誕生についてですが、羊羹の記事でも触れましたが、あんこは元々は、肉類の代用品であったと言われています。

鎌倉時代に、中国から点心というものが伝わりました。点心には肉類が使われていましたが、その頃の日本人には、宗教上の理由もあり肉類を食べることがありませんでした。

そのため、肉類の代用品として、身近な食材である小豆などの豆類を使い始めたのが、あんこの由来だと言われています。

饅頭などにも使われていたあんこは、肉類の代用品ということで、当初は塩で味付けされたものだったようです。

その後、室町時代になり砂糖が段々と普及し始めたことや、江戸時代にかけては茶道が発達したことで、甘い和菓子の需要も増えました。

そのようなことなどが影響し、あんこの味も塩味のものから甘いものへと変わっていきました。外国の文化を日本に合うものに変化させたことが、あんこが誕生するきっかけとなったのですね。

きんつば…カクカクした不思議なあんこのカタマリ

「きんつば」とは、あんこの塊を約1、5センチくらいの厚さの六面体にしたものを、薄い小麦粉の衣や米粉の衣で焼き付けながら覆ったもので、不思議な正方形の和菓子です。

中身は粒あん、または、さつまいもで作られた芋あんであることが多いですが、桜の咲く時季には桜あんなどのきんつばも出回ります。

金色でもなく、丸いツバのようでもないこの和菓子ですが、なぜ「きんつば」と呼ばれているのでしょうか。今回はきんつばについて紹介します。

きんつばは、元々京都で生まれ、江戸に伝わった和菓子だったようです。名前もきんつばではなく、「ぎんつば」でした。

江戸に伝わった時に、「ぎん」から「きん」に変わった理由については、いくつかの説があるようです。一つは、銀よりも金の方が縁起が良いからという説です。

その他、その頃の京都での主流の硬貨が銀色だったのに対し、江戸で主流の硬貨は、金色だったから、などの理由が伝えられています。

さて、きんつばの「ツバ」とは、刀の持ち手と刃の間にある、楕円形の円盤のことです。

現在のきんつばは四角いものがほとんどですが、伝わった当初のものは、このツバのように丸い形だったようです。

いつしか「丸いよりも四角い方が美しい」、「四角くすることで、鉄板の上で焼くのに場所の効率が良い、一度にたくさん焼ける」などの理由から、四角い形が主流になりました。

なお現在でも、丸いきんつばを作っているところもあります。富山県では、丸いきんつばが今も作られており、名物となっています。

さて、現在のきんつばは、名前も「ぎんつば」から「きんつば」に変わり、形も丸いものから四角いものが主流となっています。

元々の丸いきんつばは、あんこを丸い形に整えて、米の粉でできた衣を焼き付け、本物のツバのような模様も焼き付けていました。

それに対して、江戸に伝わったあとの六面体のきんつばの衣は、小麦粉へと変化しました。

この頃、江戸と京都でどちらが良い和菓子を作るか、と競り合っていたとも考えられ、京都のものと区別する意味で、小麦粉に変わったのかもしれません。

また、中身に使うあんこも、丸形からキッチリとした四角い形になり、その形を保つため、寒天で固められるようになりました。

寒天で固められているあんこ、ということで特に芋あんの場合は、芋ようかんを四角く切って、それに生地を焼き付けるものもあります。

また、中身のあんこを取り巻く衣の焼き付け方については、店舗によって二種類ほどの違いがあるようです。

なるべく薄い生地の衣になるように、あんこの表面にハケで生地を塗って焼き付ける店と、あんこを手で持ち、生地の入ったボウルにサッと付けて焼く店があり、仕上がったあとの食感などに違いがでてきます。

きれいに衣が焼き付けられたきんつばは、ぱくっと噛んだ瞬間に、表面の衣がぷちっと弾け、あんこのしっとり感が際立ちます。

きんつばを食べる際には、衣の違いにも注目してみると面白いですよ。

らくがん…飾るだけじゃなくて食べてください!おいしいですよ

「らくがん」というと「お盆に出回る、ハスや菊の花、またナスなどの形の飾り物」を思い浮かべる方がほとんどなのではないでしょうか。

「食べ物ではない」「ただの飾り物だ」と思われている方もおられるかと思うので、らくがんとは何か?というところから紹介していきます。

らくがんとは、漢字で書くと「落雁」となります。和菓子の分類では、金平糖や、おせんべいの八つ橋、おこしなどと共に「干菓子」というお菓子に分類される、水分量が15%以下のお菓子です。

らくがんの原料は、「落雁粉」と「砂糖や水飴」という、ごくシンプルな材料でできています。そのため、らくがんを作る際には、材料選びもとても大切な作業となります。

この「落雁粉」というのは、一度蒸した餅米を干してカチカチに乾燥させ、細かく粉状にひいたものを、さらに炒ったものです。

この落雁粉と砂糖や水飴を混ぜ、色々な形の「専用の木型」に押し固めたものを、乾燥させて仕上げます。材料も作り方も、とてもシンプルなお菓子です。

この専用の木型は、らくがんを作っている老舗の和菓子屋では、そこで代々使用している歴史的な価値があるものが置いてある場合もあります。

らくがんのおいしいところは、その口溶けです。口に入れた瞬間に、ほろっとほどけるようなその食感は、お茶うけにぴったりです。

そのため、特に良い素材でできているらくがんは、茶道のお茶の席で使用されることも多々あります。

というのも、作る際の木型や、落雁粉に着色する色によって、色々な季節を表す形のものを作り出すことができ、一年を通して旬のお菓子になることができるからです。

お盆にスーパーに並ぶらくがんは、菊などが多いですが、お茶の席で用意されるものには、水紋を表したものや、イチョウの葉、アジサイの花や、亀に鶴、鳩など、色々なものがあります。

その見た目に、箱を開けた瞬間に「わあ…」という歓声がこぼれそうなほど、可愛いものが多いです。

もし京都などで見かけたら、ぜひお土産に持って帰ってみてくださいね。きっとその美しさと可愛らしさに驚かれることでしょう。

さて、「落ちる雁」と書くらくがんですが、これにはどういった起源があるのでしょうか。

…これには、いくつかの説があります。有力なある一説では、最初に作られたらくがんの見た目が関係している、という説です。

当初のらくがんは、その表面に黒ごまが散らしてあったようです。

その様子が、滋賀県の優れた風景「近江八景」の一つ、大津市の浮御堂の辺りである「堅田落雁(かただのらくがん)」という風景に似ていたそうです。

その風景とは、琵琶湖の上を夕日の中、黒い雁の影が並んで飛ぶ風景であり、それに似ているということから落雁と呼ばれるようになったと言われています。

しかし京都の方では、近江八景についての逸話が語られる以前から、「このお菓子は、らくがんと呼ばれていた」という説もあり、明確な理由は明らかになっていません。

たい焼き、おめでたいその形に餡をいっぱい詰めて

たい焼きは、寒い冬には特に恋しくなる和菓子ですね。焼きたてのアツアツを頬張れば、あんこの甘さと、その温もりで、とても幸せな気持ちになれます。

また、たい焼きを食べる際には、「頭の方から食べるか?それともしっぽの方から食べるか?」というのは、たい焼きの食べる際の定番の質問ではないでしょうか。

…ちなみに、この質問に関しては、「頭から食べて、あんこの少ないしっぽを食べ終わりに持ってくることで、さっぱりと食べ終わりたい」という方が多いようですよ。

そんな冬に愛されるたい焼き、その起源はどういったものだったのでしょうか。

たい焼きは、元々は「今川焼」が元になって発案された焼き菓子だったようです。以前は、たいの型の他にも色々な動物の型があったそうです。

ですが、たいの型の見た目の縁起の良さから、この型が最終的に残ったということです。

ちなみに、「今川焼」は江戸時代に神田の方の「今川橋」の近くで売られていたため、今川焼と呼ばれるようになりました。

今川焼は、地域によって呼び名が異なる場合があり、関西の方では「大判焼き」や「回転焼き」と呼ぶこともあります。

関東でも、お祭りの露店では今川焼を「大判焼き」というのれんで売っているのを、時々みかけますね。

さて、元になったのは、その今川焼ですが、たい焼き型自体の発祥の地は、麻布十番にあるたい焼きのお店だと言われています。

こちらでは、現在もそのたい焼きを食べることができ、特に寒い冬の日などは行列ができていることもあります。

さて、そんなたい焼きですが、その皮には二種類の食感の違いがあるのをご存知ですか?

たい焼きは、小麦粉に卵、砂糖を混ぜた生地を、型に流し込んで、その上に粒あんやカスタードクリームなどを落として、再び生地を流し込み、もう反面の型とプレスするようにして焼き上げます。

この時に流し込む生地には、お店の特色などにより二種類の生地があります。一種類は、薄焼きせんべいのような、ぱりっとした生地であんこが包まれたものです。

もう一種類は、厚みのあるふっくらした生地であんこが包まれたものです。ぱりっとした生地の方は、全体的に厚みのないさっぱりとした皮に仕上がります。

そのため、あんこなどの中身をたくさん詰めることができます。あんこが好き、中身ぎっしりの方が好き、皮よりも中身を楽しみたい、という方には、断然こちらの皮のたい焼きの方がおすすめです。

ふっくら厚みのある生地のものは、生地はフワフワですが、その分、中身の具が入るスペースが少なくなってしまいます。

中身よりも生地のモチモチ感を楽しみたい、生地と中身を程よい加減で食べたい、という方にはこちらの方がおすすめです。

ふっくらモチモチの生地には、小麦粉などの他に、餅粉や、タピオカ粉を配合して作られているという違いもあるようです。

あなたはどちらが好みでしょうか?季節や、気分によって食べ分ける、というのも良いかもしれませんね。

カステラってカタカナで書くけど、一応和菓子です

甘いスポンジケーキのような「カステラ」、あの茶色の焦げ目のところが特に好き、という通(?)の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

最近では、「生カステラ」、「半熟カステラ」などという変わり種も登場し、卵と砂糖の甘い香りが、小さなお子様から若い女性にも人気のお菓子ですね。

そんなカステラですが、その名前の由来は「スペインの地名である」という説があります。

その昔、カステラは、長崎にキリスト教の宣教師がやって来た際、キリスト教などと一緒にポルトガル人が伝えた、と言われているお菓子です。

有名なカステラのお店の箱の装飾には、それを思わせる絵柄が入っているものも見かけますね。

彼らは、カステラについて説明する際に、「これはカステラのお菓子です」と説明していたようですが、その「カステラ」とはスペインにある地名「カステーリャ」を、ポルトガル読みの「カステーラ」にしたものでした。

つまり、元々は「これはカステラというお菓子ですよ」という意味ではなく、「カステラという地域のお菓子ですよ」という意味だったのですね。

また、伝わった当初のカステラは、小麦粉、卵、砂糖でできており、現在のものと比べると「パウンドケーキ」のようなサックリした焼き菓子だったようです。

ですが、餅やまんじゅうなど、しっとりモチモチとした食感を好む日本人には、パサパサした口当たりは好まれなかったようで、まもなく日本人に合うように改良がされました。

そして、蜂蜜、水飴などが加わり、しっとりした食感に仕上げられました。このような改良が落ち着き、今のようなフワフワのカステラの形になったのは、明治以降のことだと言われています。

さて、カステラは、この時に改良されて蜂蜜や水飴などが加わったことにより、どら焼きの生地やあんこ、豆類などの、日本の食材とも合うお菓子に変化しました。

「中村屋」などで見られるお菓子には、どら焼きの生地でカステラを巻いたお菓子があります。また、「シベリア」というお菓子は、カステラ生地のスポンジで羊羹の層を挟んだ不思議なお菓子です。

ちなみにこのシベリア、溶けている状態の羊羹を、カステラ生地の上に流し込み、もう一枚のカステラ生地をその上へ乗せて固めるため、カステラ生地と羊羹とはぴったり密着しています。

食べると、甘いカステラ生地とあんこが、どら焼きのような味わいでなかなかおいしいお菓子です。

西日本よりも東日本の方が多く流通しているお菓子なのだそうです。見かけた方はぜひお試しください。

その他、カステラには、チョコレート味や抹茶味、桜の時季には桜色のものが売り出されたりと、色合いも豊かです。また、生地に粒あんや黒豆、うぐいす豆などが練り込まれたものもあります。

また、表面積が広く、焼き印で文字などをつけるのに良いことから、最近では、敬老の日や父の日、母の日、出産の内祝いなどに、感謝の言葉や子供の名前を焼きつけたものなども人気ですね。

これからも、どのような変化を遂げてゆくのか、楽しみな和菓子の一つです。

どら焼き、ちょっと洋菓子の香りのする和菓子ですが

一見、ふんわりと上品な甘さのパンケーキであんこを挟んだ、洋風な見た目の「どら焼き」ですが和菓子の一つです。その歴史は、いったいどんなものだったのでしょうか。

どら焼きの歴史は、餅やだんごよりは新しく、現在の形に落ち着いたのは、ホットケーキなど西洋の文化が入り始めた、明治時代以降のことだと言われています。

中身に使うあんこは、粒あんであることがほとんどですが、白あんや、甘く煮た栗、あんこと餅などがあります。

しかし最近では、パンケーキのような生地であることから、生クリームやバターなどを挟んだものなどもあり、バリエーションの豊かな和菓子だと言えます。

さて、このどら焼き、なぜ「どら焼き」と呼ばれるかというと、「昔は鐘の一つである「銅鑼(ドラ)」を用いて生地を焼いていたからだ」とか、「その銅鑼に見た目が似ているから」というような説があります。

ちなみに、どら焼きは関西の方では「三笠」という名前で呼ばれることが一般的です。これは、「三笠山」という奈良県にある山に起源があります。

どら焼きを、三笠山からのぞく満月に例えて「三笠」、と呼んだという説があります。その他、どら焼きの膨らみが、三笠山の山の輪郭に似ているから、とも言われています。

どちらにせよ、どら焼き一つを自然の風景に例えた、たいへん美しい理由ですね。

さて、とてもよく似ている「どら焼き」と「ホットケーキ」ですが、実際のところ、この二つに違いはあるのでしょうか。

ホットケーキやパンケーキと、どら焼きは、見た目も食感もよく似ています。実は長いお菓子の歴史の中でも、混同されることが多くあったようです。

まず、ホットケーキやパンケーキは、冷えてしまうとパサパサになったり、かたくなってしまいます。ホット専用、というわけですね。

これに対してどら焼きの生地は、焼き上がったものを冷ましても、柔らかいまま保たれています。

これは、生地に配合されているものの違いからきています。ホットケーキやパンケーキに使う主な材料は、小麦粉の他に卵や牛乳、砂糖です。

これに対してどら焼きの生地は、小麦粉、卵、砂糖の他にも、様々な材料が入ります。

それは、膨らませるための重層、モチモチした食感を作る餅粉や、しっとり感を出す蜂蜜、また、みりんや日本酒、水飴、黒糖などであり、日本の和菓子に使われるようなものが多く使われています。

これらの効果により、焼き上がり後に時間が経っても、モチモチフワフワな状態を保った生地が出来上がる、というわけですね。

さらに、あんこの甘さを邪魔せず引き立てる、しっとりとした甘さの生地にも仕上がる、ということです。

その他、京都には、あんこの芯をバームクーヘンように、何層もどら焼きの生地で巻いた、一風変わったどら焼きがあります。

毎月21日に、東寺で開かれる「弘法市」の間、2、3日の間だけ限定で買うことができます。気になった方は、21日頃を目指して京都へ向かいましょう。

もなか…ぱりぱりの皮で包まれていて餡がおいしく食べらます

もなか、というと和菓子よりも、アイスクリームの方を思い浮かべる方が多いかもしれませんね。

確かにあれもなかではありますが、あんこを包んでいるものとアイスクリームを包んでいるものでは、少し皮質が違います。

そんな、アイスクリームにもなっているもなかですが、その起源はどういったものだったのでしょうか。

もなかは、漢字で書くと「最中」と書きます。その名前の起源は、源順(みなもとのしたごう)という平安時代の歌人がよんだ歌によるものでした。

その歌は「水の面に 照る月浪をかぞふれば 今宵ぞ秋の最中なりける」というものです。この歌の季語は中秋の名月を指す「秋の最中」で、秋の美しい月についてよんだ歌です。

その後、江戸時代になって一番最初に売り出されたもなかは、「最中の月」という名前で有名になり、歌によまれたように、そのお菓子の姿とともに、月と関係のある名前でした。

その見た目は、現在のように皮であんこが包まれたものではなく、もなかのような生地のせんべいに、薄く甘い味をつけた麩焼きせんべいのようなものだったようです。

形は丸く、秋の美しい満月のようだったことから「最中の月」という名前がぴったりだったということです。

その後「最中まんじゅう」というものが出回りました。これは、現在のもなかと近い和菓子だったようです。

平安時代の歌から菓子のヒントを得るという、昔の菓子職人の、頭の柔らかさが垣間見えるエピソードですね。

さて、そんな風流な誕生秘話を持つもなかですが、その作り方はどういったものなのでしょうか。

もなかと言えば、その皮が特徴的ですね。もなかの皮は、もなかにとって命とも言える存在です。

皮が無ければただのあんこなのですから。もなかの皮には、桜や菊など古典的なものを始めとし、色々な形があります。

それには、ひょうたんや、お寺の鐘、閉じた形の番傘、ゴルフボールなど面白いものもたくさんあります。これらの形は、もなかの皮専用の型で作られます。

もなかの皮は、餅米の粉を水と混ぜ、蒸して作られます。これを、薄く伸ばしたものを専用の型に入れ、丁寧にぱりっと焼き上げます。

ぱりぱりに焼き上がった皮ですが、あまりにも長時間あんこを詰めたまま置いてあると、皮が湿気てしまう可能性があるので、もなかは早めに食べるのがおすすめです。

ぱりっ、さくっ、としたもなかの皮と、あんこのねっとり感は、くせになるおいしさです。また、そのようなことを考慮してか、もなかでも皮とあんこを別々に包装して売っている和菓子屋さんもあります。

食べる方が、食べる直前に自分で好きなだけあんこを詰めて食べる、というスタイルのもなかです。あんこが好きな方には特におすすめですね。

ちなみに、アイスクリームのもなかの皮は、このもなかの皮に改良を加えたものであり、餅米の粉以外にも、小麦粉やコーンスターチ、水飴などが配合されている場合があります。

これは、あんこと違って水気のあるものを挟むことから、耐水性をつけ皮を丈夫にする、という意味があります。

お赤飯って、和菓子屋さんに行くとなぜかよく売られてますよね

お赤飯は現代も、ひな祭りや入学祝い、卒業式や成人式などの祝いの席に登場し、日本人の行事には欠かせないものです。

コンビニなどで、おにぎりとして売られていることもあり、身近な存在であることから「餅やあんこは食べなくても、お赤飯は好き」という方も多いのではないでしょうか。

さて、「御赤飯は和菓子」というわけではないのですが、なぜか和菓子屋さんに行くと必ずと言っていいほど並んでいるものですね。というわけで、今回はお赤飯について紹介しましょう。

お赤飯の作り方は、餅米に小豆を混ぜ、蒸して作ります。餅米と小豆、という材料から和菓子屋さんには必ず置いてある材料でできています。

それでは、「なぜ、お餅などとお赤飯が一緒に売られているのか?」という理由については、「昔はお赤飯は、餅などと一緒におやつとして扱われていたから」という説があります。

その他、和菓子屋さんによっては、太巻きやおいなりなどの「巻き寿司」なども一緒に置いてあるところがあるのを、みたことがないでしょうか。

現代のようにスナック菓子などの無かった時代、太巻きやお赤飯は、ちょっと小腹を満たすような、まさに「おやつ」だったのかもしれませんね。

お赤飯をなぜ「お赤飯」と呼ぶのかについては、小豆の赤い色が米に付き、赤くなるためです。また、お赤飯を「おこわ」と呼ぶ場合もあります。

おこわ、とは漢字で書くと「お強(こわ)」と書きます。「強(こわ)」とは昔の言葉で「かたい」、「怖い」などの意味があります。

この「お強(こわ)」、「強飯(こわいい)」とは、餅米を蒸して作るもののことで、現在のように水から炊いて作る米を「姫飯(ひめいい)」と呼ぶのに対して、おこわは少し堅めの食感でした。

つまり、「おこわ」とは「かためのご飯」という意味があります。

おこわは現在では、「お赤飯」というよりも、餅米に栗や山菜、芋や鶏肉などを加えて蒸したものを言う場合がほとんどとなっています。

これは、餅米を蒸したもの自体を「お強」、「強飯」と呼んでいたためです。お赤飯もおこわの一つだったということですね。

さて、祝いの席に登場することがほとんどであるお赤飯ですが、地方によっては縁起の悪い日や、お葬式、不吉なことがあった日など、凶事の場合に用意する地域もあります。

これは、「小豆の赤には、邪気を払う力がある」「厄よけできる力がある」と信じられていたためもあります。

また、祝いの日には普通にお赤飯を用意するけれど、縁起の悪い日には、小豆ではなく黒豆を使って赤飯(赤くないので黒飯でしょうか)を用意する、という、区別をつけている地域もあるようです。

その他、元々お赤飯に使う豆といえば小豆ですが、小豆の代わりにササゲ豆を使う場合も多くあります。これは、小豆の皮は柔らかく、蒸し上がったものを混ぜると、すぐに割れてしまうからだ、と言われています。

では、「小豆が割れると何が悪いのか?」というと、武家社会では割れた小豆の腹が「切腹」を連想させたそうです。そのため、炊いても割れにくいササゲ豆を利用するところが増えました。

わらび餅、特に夏には欠かせないフルフルもちもちの和菓子

夏に欠かせない和菓子の一つが、わらび餅ですね。透き通ったフルフルでモチモチのお餅に、黒密ときな粉の合う、スーパーでも手軽に買うことのできる和菓子の一つです。

しかし、わらび餅の素となる「わらび粉」とは、本来とても高価なものです。

では、スーパーなどで80円から120円ほどで売られている「わらび餅」とは、いったい何からできているのでしょうか。

わらび粉とは、植物のわらびの根からとれるデンプンです。わらびの根も貴重である上に、その根から粉を取り出すのにもたいへん手間暇がかかります。

その作業は、根をすり下ろしたものを何度も漉すことを繰り返し、不純物を取り除きながら、水を加えては沈殿させたりして、根に含まれるデンプンを丁寧に抽出します。

たくさんの根っこを用意しても、そこから取れるのは、ほんのわずかな量であり、例えば100gの根っこから取れるのは、わずか5g程度のわらび粉だと言われています。

また、本物のわらび粉で作られたわらび餅には、その色に特徴があるとされています。それは、少し黒ずんだような色をしていたり、濁った飴色をしているということです。

スーパーなどに並んでいるわらび餅は、本物のわらび餅を模したものであり、わらび粉自体は使われていない場合がほとんどです。では、何を使ってあのフルフル、モチモチ感を出しているのでしょう。

それには、わらび粉よりも簡単に手に入れることができる、さつまいもなどから取れる「甘藷デンプン」やタピオカから取れる「タピオカデンプン」、じゃがいもから取れる「馬鈴薯デンプン」や片栗粉などです。

スーパーなどで並んでいるわらび餅は、はっきり言ってしまえば「さつまいもデンプン餅」や「タピオカ餅」ということになってしまうのですね。

しかしながら、本物のわらび粉にはたいへん高価である、という弱点と本物のわらび餅にも、市場に出回れない弱点があります。

それらのなんちゃってわらび餅も「わらび餅を何とかして食べたい!」と考えた人達が一生懸命作り出したもので、おいしい和菓子の一つなのです。

不純物ゼロの「100%のわらび粉でできた本物しか作ってはいけない」とすると流通するものは無くなってしまうかもしれません。

というのも、高価なわらび粉100%でできたわらび餅はたいへん高価となる上、出来上がったものを保存することが難しく、劣化もとても早いのです。

その劣化は、作られてすぐから始まるため、わらび餅が一番おいしく食べられるのはもちろん出来立てです。その後、長くとも2日間が限界だと言われています。

「冷蔵庫に入れれば鮮度が保たれるのでは?」という意見もあるかと思いますが、わらび粉100%のものは冷蔵すると弾力が失われ、食感やのどごしが格段に落ちてしまいます。

私達が安、気軽にわらび餅を口にできるのは、本物のそれらの特徴を補いつつ開発された「わらび餅っぽいもの」が存在するおかげだと言えます。

「これは、本物のわらび餅ではない」とわかっていれば、それで良いと思います。京都の祇園の方の甘味処では、本物のわらび餅を食べられるお店もあります。

本物の味ってどんな味よ?と気になった方は、ぜひ足を運んでみてください。きっと「これが!?」と驚かれることでしょう。

ういろうとは外郎と書きます…羊羹との違いわかりますか?

ういろうは漢字で書くと「外郎」と書きますが、羊羹と見た目がよく似ているため「何が違うの?」という疑問を持っている方も多いのではないでしょうか。

今日は、そんなういろうと羊羹の違いから、紹介していきます。

実は、ういろうと羊羹の一番の違いは、その固め方にあります。羊羹は、寒天で固めるものがほとんどなのに対して、ういろうの場合は、米の粉や、わらび粉、小麦粉などとこしあんを混ぜ、蒸し固めて仕上げます。

そのため、ういろうは「外郎餅」とも呼ばれ、羊羹に比べると「モチモチ」とした食感も特徴の一つです。逆に羊羹は、特に水羊羹だと「つるん」としたノド越しになります。

その他、羊羹を固めるための寒天は、熱を加えると溶けてしまう、熱に弱いお菓子ですが、ういろうの場合は、小麦粉などで蒸し固めて作ってあるので、熱にもある程度強いお菓子と言えます。

そのため、時間が経って、少しかたくなってしまったういろうは、湯せんにかけると出来立てのモチモチ感を味わえます。また、天ぷらにするという驚きの食べ方もあります。

ちなみに、天ぷらにしたういろうは、揚げまんじゅうのような濃厚な甘さに仕上がります。もしも、ういろうが余っちゃった、という時には試してみてください。

さて、羊羹とういろうの味の種類はですが、同じようなものが多く、こしあんを使ったものの他、白あんを使った白いものや、抹茶を加えた抹茶味、黒糖を加えた黒糖味、桜の葉の入った桜味、柿のスライスを入れた柿ういろうなどがあります。

なお、ういろうで有名なのは、山口県の他に名古屋や三重県などがあり、それぞれ蒸し固める際に加えるものを変えるなど、製法の違いにより、味や食感の違いを出しています。

ところで、ういろうは「外郎」と書きますが、その見た目と名前には少しも関係が無いように見えますね。その名前の由来について、紹介しましょう。

ういろうとは、元々は「陳宗敬(ちんそうけい)」という中国からやってきた人物の、「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)(らいほうえんういろう、とも)」という役職の名前でした。

この人物の役職とは、薬に関する役職でした。彼は、日本でも「透頂香(とうちんこう)」という、薬用人参やジャコウなどが主成分の、家伝の丸薬を広めました。

この丸薬は、口の中を爽やかにする、また、のどや胃腸、心臓にもよく効くとして、たいへん評判になったようです。

しかし、その「透頂香(とうちんこう)」という名前は日本人には難しかったのか、あまり広まらず、代わりに彼の役職名である「外郎」の部分が注目され、「外郎の薬」、「外郎薬」という名前で広まりました。

また、この「外郎」という役職を持った「陳宗敬」という人物は、人をもてなす際に、現在のういろうの元となった菓子を、来客にふるまったとされています。

当時のその菓子は、黒糖を使用して作られており、黒に近いような茶色いお菓子でした。

その黒糖の茶色が、外郎薬の色とも似ていたためと、菓子自体の名前もわからなかったため、その菓子のことも「外郎」と呼ぶようになったと言われています。

ういろうの名前の由来には、一人の人物の役職名と、薬の名前が関係しているのですね。また「わからなかったから、この名前で呼ぶようになった」という点も面白いところです。

さて、この薬の方の外郎ですが、現在でも小田原の方で製造されています。

「仁丹」のような小さな丸い粒の薬ですが、環境の変化により原料が手に入りにくくなったということで、貴重なものになっているようです。

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